【幸福論】あなたは今、満たされていますか?【人生】

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おはこんばんにちは!ノボルです。

最近、『闇金ウシジマくん』という漫画を読んでいます。
大人気作品で映画化もされたので、ご存知の方も多いかと思います。

闇社会で絶望の中に生きる人たちの姿が、ここまでかというくらいリアルに描かれています。

作品名にもあるように、全てのエピソードに闇金が絡んでいます。

・ギャンブルがどうしてもやめられない
・ホストに貢ぐため
・他の借金を返済するため

など、様々な理由で登場人物たちは借金を繰り返し、ドツボにはまっていきます。
一回くらいいいや」という軽い気持ちで借りたが最後、何度も闇金を利用するようになり、最終的に後戻りできない状況に陥ってしまう。

中には死んでしまったキャラもいます。

もちろん、こういった人たちは全体の一部だと思いますが、成功している人やある程度お金に余裕がある人の中にも、心の底から幸せを感じられていない人はいるのではないでしょうか。

そこで今回の記事では、「幸せ」について僕が思うことを書こうと思います。

外からやってくる幸せは儚い

まず前提ですが、「幸せの形は人の数だけあっていい」と僕は思っています。
Aさんにとっての幸せが、Bさんにとっても幸せであるとは限らないでしょう。

たとえば、複雑な理論を使って新しい研究をすることが幸せだと感じる人もいると思いれば、ジムに行って筋トレをすることが無常の喜びだと感じる人もいるかもしれません。

この記事を読んでくれているあなたも、料理、買い物、ゲーム…など、自分の思う幸せを持っているのではないでしょうか。

ただ、「幸せは人の数だけある」と言いましたが、その幸せが自分をずっと満たしてくれるとは限らないでしょう。とりわけ、外からやってくる幸せは必ず去っていきます

たとえば、人間の3大欲求である「食欲・性欲・睡眠欲」もそうだと思います。

お腹が減ってご飯を食べると、満たされたような気持ちになりますよね。
ですが、お腹がいっぱいになって数分もすれば、その満足感は跡形もなく消えてしまいます。

3大欲求に限らず、人間関係もそうです。
仲のいい友達であっても、何かがキッカケで縁が切れたりします。

お金も使えば無くなりますし、必要以上に何かを持っても深い満足感は得られないでしょう

このように、自分の外側からやってくる幸せは、一時的な快楽や満足感を与えてくれても、遅かれ早かれ自分の手からすり抜けていきます

昔に比べて私たちの生活は格段に豊かになっているにも関わらず、世の中には満たされない人が依然として多いように思われます。

それは、いつかは去ってしまう外の幸せばかりを求めているからではないでしょうか。

満たされるためには、内なる幸せを見つけるしかない

お金・能力・人間関係などは、生きて行くために必要なものだと思います。
一方で、本当に満たしてくれるものは、自分の中にある絶対的な幸福感ではないでしょうか?

外的な幸せは、常に変動します。

お金があったりなかったり。
人と出会ったり別れたり。
物が増えたり減ったり。

つまり、外的な幸せの中に絶対はないということです。
これを履き違えてしまうと、異常なまでにお金を追求したり、自分を捨てでも周りと関わろうとしてしまいます。

そうやって外の世界を追求しても、騙されてお金がなくなったり、自分の元から大事な人が去ったりすることがあるかもしれません。それが原因でさらに外的な幸せに固執し、最終的に冒頭で紹介した『ウシジマくん』の登場人物のような末路を辿る可能性がないとは言い切れません。

これでは、悪循環ですよね。
心から満たしてくれないもの、あるいは一時的な幸せしか生み出さないものを追いかけても、どこか欲求不満のまま生きて、死んで行くことになってしまう

子供のようになる

じゃあ、どうすれば内的な幸福感を得られるのか

僕は、大きく分けて

行為のアプローチ
存在のアプローチ


の2つがあると思っています。

行為のアプローチ

行為のアプローチとは、自分一人でも楽しめることを見つけるという意味です。
要は、趣味ですね。

誰しもが、

・スポーツ
・読書
・漫画


といった趣味や楽しめることを持っていると思います。

ですが、中には他人に合わせるために無理に趣味を作っている人もいるでしょう。
その場合、学校や仕事の人間関係では役立つかもしれませんが、社会的な繋がりは維持できても、絶対的な幸福感は得られないと思います。

なので、ここで僕が言っている「楽しめること」というのは、人に合わせるためではなく自分の喜びのために楽しめることという意味です。

たとえば、「ゴルフが好き」というのでも、

・職場の人や友達と付き合うためだけにやっている
・人との繋がりだけでなく、純粋にゴルフを楽んでいる


この2つには大きな違いがあります。

人間関係に役立てるために趣味を作ることも意味があるのかもしれませんが、自分の中から喜びが湧いてくるような趣味の方が遥かに価値がある、と個人的には思います。

ですので、「満たされなさ」に苦しんでいるという人は、自分が心から楽しめるような趣味を探してみてはいかがでしょうか?

一見他者からみて地味だったり華やかさがないことであっても、自分が感じて没頭できるのであれば、それはダイヤモンドより100万倍価値のある宝物だと思います。

もちろん、趣味というのは時間が経てば飽きたりするものですが、大事なのは「あなたが生き生きとしているか」だと思います。なので、趣味がころころ変わっても、自分が感触を持って楽しめているのであれば全く問題ないと思います。

存在のアプローチ

中には、なかなか趣味が持てないという人がいるかもしれません。
そういう方には、存在のアプローチをオススメします。

存在のアプローチというと分かりづらいかもしれませんが、自分をあるがままに感じるということです。

禅の言葉に、「無の境地」というのがあります。
一切の煩悩から解放され解脱するという意味なのですが、世間に生きる我々にも役立つ言葉だと思います。

1日10分でもいいです。
自分の抱えているものから離れる時間を設けましょう。

この記事の読んでいるあなたは、何かしらの役割を抱えていると思います。

子供、兄弟、姉妹、大人、夫、妻、親、学生、社会人…など

人はそれぞれ一種のラベルを持っています。
そのラベルは、アイデンティティを与えてくれ、充実感や達成感を感じることはできますが、それゆえの苦悩も生み出してしまいます

そこで、一日のちょっとした時間でいいので、そういったラベルを全て剥がす時間を作ることをオススメします。

できれば、リラックスできる寝る前の時間がいいと思います。
特別に何かをする必要はないです。

ベッドに横になり、リラックスして、全てから解放された自分を想像してください。
勉強・子育て・仕事などは全て忘れて、子供のようにただ自分を感じてみてください。
目の前に映る光景一つ一つに驚嘆し感動している子供のように。

全ての人類は、裸で一人生まれてきました。
車も家も服も、何も持っていません。
ですが、子供は発見と喜びに心から満たされています

子供にとっては、歩く・食べる・見るといった日常の一つ一つの行動が冒険であり、小さな発見に心から喜びます。

何も持っていない状態だからこそ得られる喜びもあるのだと僕は思います。
逆に言えば、色々なものを持つことで苦悩が生まれてしまいます。

なので、ただの純粋な自分に戻る時間をあなたのために設けてあげてください。
毎日数分でもそういう時間を作ることで、徐々に自分の中に平安が感じられるようになります

自分と戦わず、あるがままに解放してあげることで、リラックスすることができます。

最後に

今回の記事では、「幸せ」について僕が思うことを書かせていただきました。

偉そうに語って不快に思われた方もいるかもしれません。笑
僕自身、試行錯誤しながら、内側の幸せと外側の幸せのバランスを取ろうとしています。

遠く離れた幸せだけでなく、目の前の幸せを楽しみ感謝することで、日々の幸福感は高まっていくと僕は思っています。

少しでもあなたの参考になったのなら幸いです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!(o^^o)

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